第2回講演会!~生きる~

埼玉福祉専門学校での講演 『そら』 の講演

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そら の講演

■PDFファイル形式:[saitamafukushi_sora.pdf(106KB)]

 

こんにちは。私は『そら』と言います。今日はこのような形で皆さんにお話しする機会をいただけてとても嬉しく思っています。よろしくお願いします。

私は29歳の時に脳腫瘍と診断され、2回の手術と放射線治療を受けました。現在後遺症として右目の視力がほとんどありません。また見える範囲というものがとても狭くなっています。左目でがんばっています。

でも左目も下の方が少し欠けています。だからよく足をぶつけるし、距離感をつかめなくて壁にぶつかります。だから私は急いで歩くことができません。のんびり歩くしゆっくりゆっくり生活しています。

私の病気は脳腫瘍です。この病気がどんなものか…正直私もわかりません。周りでこの病気になった人を知らないし、私の年で病気と闘っている人はなかなかいません。

私は自分が病気になるまで健康でいることが当たり前だと思っていました。だから自分に起こったことが夢のようなドラマのような出来事に思えました。病気を受け入れるまでにそんなに時間はかからなかったけれど私は「死」を迎えることに対してはまだ準備はできていません。

私は今これからのことを学んでいるのかなと思っています。お勉強中ということではみなさんと一緒だと思っています。

脳腫瘍には良性と悪性があるのですが私は悪性です。その他に入ってしまうくらい症例が少なくてこれから先は「どうなるかわからない」そうです。私の時間はどれだけ残っているのかわからないのです。

病気がわかったころ私は幼稚園の先生でした。この中で将来何になりたいか決めている方はいますか?私は皆さんと同じ年だったころ何も考えずに学校に行っていたような気がします。

初めは小学校教諭になりたくて入ったけれど教員採用がちょうど大変な時。何となく幼稚園教諭と保育士も取ったけれどそこまで小さい子が好きだったわけでもなかったです。むしろちょっと苦手だったかもしれません。

何に向かっていいのか自分探しをしていたような…していなかったような…そんな感じでした。  でも私は気がついたら幼稚園の先生でした。学校が学校だったからその流れに沿っていっただけかもしれません。

でも子ども達にとても魅力を感じていたのだと思っています。 私は先生でよかったと思っています。子どもたちと過ごした時間があってたくさんの人と出会うことができたからこそ今の私がいるような気がします。

病気を宣告された時私は卒園児を受け持っていました。2月の中旬。2日後に発表会を控え1カ月もしないうちに卒園式。とっても忙しい時期に病気が発覚してしましました。

 「卒園式までは手術を伸ばしてほしい」そう頼んだのを覚えています。ちょうどその年で私はその幼稚園を辞めるつもりでした。本当に最後の担任になるなんて思ってもいませんでした。

他の幼稚園に行こうと思って何となく出した辞表。それがこんな形で本当に終わりになるなんて想像もしていませんでした。

手術前に目に後遺症が残るかもしれないことを言われていました。もしかしたら見えなくなる可能性もあることも。でも復帰を諦めきれなかった。

大嫌いな注射も点滴もやったことのない手術だってがんばろうって思えたのは自分ためだけじゃなかったのです。

私は告知されそのまま幼稚園に行けなくなってしまいました。「こなくていい」そう言われちゃいました。それはそれで仕方のないことかもしれません。でも子どもたちに会いたくて会いたくて仕方がなかった。

昨日まで「先生さようなら皆さんさようなら」って当たり前のように挨拶をしてまた明日があると思ってさよならしたのにそれが最後になってしまった。

私はあのころをあまり覚えていません。人は辛いことは記憶にふたをしてしまうみたいだけれど私もふたをしてしまっています。子どもたちと会えなかったことがとっても辛かった。

ここまで言うと私はとってもいい先生みたいだけれどそんなことはありません。とっても悪い先生だったと思います。 努力もしないで「先生」っていうことに甘えていたような気がします。

最初のころは子供の心は無視していた先生だったような気がします。目の前のことをこなしていくだけが精いっぱい。大切なことは見逃していたことが多かったと思います。

でもどんな先生でも子どもたちにとっては先生。子どもたちと過ごしていくととっても心が優しくなっていくのがわかります。

同年代の友達といるときには得られなかった楽しさがそこにはありました。心があったまる。そこに自分がいられることがとっても嬉しかった。

統合保育で自閉症の子を受け持ったことがあります。年中から入ったのですが言葉も話せない。どうしていいのかわからなくてパニックを起こすことも多い。お友達と遊ぶこともできない。

お部屋にいることもできないから脱走してしまう。自閉症を受け持ったことがなかったのでどうしていいのかわからない日々でした。でも本を読んだり勉強をしました。

その子が話せない分何を言いたいのか一生懸命わかろうとしました。必死に子どもと向き合ったのはその時が初めてだったかもしれません。 そのうちにクラスで一緒に遊ぶ姿が見られるようになりました。

それまで友達に関心がなかったのですごいことです。クラスの子がいろいろとお手伝いをしてあげていました。なんだかとっても嬉しかったです。一緒に過ごしていくうちに自然と助け合う心ができる。心ってつながっていくんだなって教えてもらいました。

そして気がつけば私の名前も「**」って呼んで切れるようになりました。「パパ」「ママ」の次に覚えてくれたんです。にこにこしながら私を探して「**」って言ってくれたのを今でも覚えています。とっても嬉しかった。

私を受け入れてくれたことがとてもうれしかった。 もちろんそれだけじゃないと思います。けれど子どもたちと過ごしたことは私の財産です。

たった6年間。だけどその6年間で私はたくさん笑って怒って泣いたような気がします。きっと他の仕事に就いていたら得られなかったことをたくさん子どもたちからもらっていました。

私は先生だったけれど子どもたちから忘れていたおことを教えられていました。 病気になったとき子どもたちと過ごした大切な時間がそこにあったから逃げなかったのかもしれません。

元気な私で会えるかわからないけれど、子どもたちとまた会いたいなって思い病気に向かっていこうと決めていました。どこからか湧いてきた不思議な力です。 でも正直言って逃げたかったです。

一度目の手術で後遺症は目だけですみましたが悪性とわかりました。「死ぬ」ってその時初めて死が近づいてきました。とっても怖かったです。私は結局卒園式に出ることを幼稚園側から許されず出られませんでした。

でもその時生きていればまたいるか会える。子どもたちに会うためにも頑張らなくちゃいけない。あの子達からもらったたくさんの元気を今使わなきゃ!って思ったのです。だから諦めるわけにはいかなかった。

もちろん病院の先生。看護師さん。家族。友達。たくさんの人が助けてくれてがんばろうっていう気持ちが生まれたのだと思います。でもあの時の大きな力は子どもたちとの思い出でした。

2回目の手術を終え退院するまで私は半年近く入院していました。それから半年後に無謀にも保育士に復帰しました。今思うと無謀なことです。

ほとんど知らない土地でやったことのない保育士。片目は見えない。脳の手術の後遺症で記憶が怪しいところもあるし極度に不安になったりする。自分でも賭けでした。これが最後かなあと。

よりによって1歳児のクラスに配属されてしまい、まったく経験がないため私は毎日がストレスでした。半年の入院で体力も落ちているし思っている以上に体が動かない。

でも自分の気持ちを抑えることができませんでした。病気を隠して仕事をしていました。もちろん目のことも。普通にできない私が普通にすることはとっても大変なことです。

かわいかった。もう二度と戻れないって思っていたから大変だったけれど本当に楽しい時間を過ごせました。一日一日成長していく子どもたち。大きくなる時に会えるのかなって思うと悲しい気持ちになることもあったけれど楽しかった。

子どもたちの大切な時間を一緒に過ごせることがこんなに幸せで楽しいことなんて思いませんでした。前とは違った時間が過ぎていきました。

一日一日に感謝しながら過ごすようになって仕事ができる喜びをとっても感じていました。その仕事が子どもたちといられるなんて幸せでした。

だけど私には負担が大きすぎる仕事だと思いあきらめることにしました。やっぱり目が追い付かないし遊んでいても遊具にぶつかってしまう。自分の安全も守れないのに子どもたちの安全を守れないなんて…と思いあきらめました。

がんばっても頑張れないのです。自分にできることを見つけて無理をしないように生きていく。それが今の私が私らしく生きていくことだと思っています。今はのんびりと自分に合ったお仕事を見つけて頑張っています。

自分にできることがとっても楽しいです。失敗ももちろんあってごめんなさいって謝ることも多いけれど私は 今をがんばっています。 今をがんばれるのは昔があったからだと思っています。

きっといろんな思い出があってそれが私の力になっています。いいことも悪いことも全てです。

「強いですね」って病気を知っている人によくいわれます。でも私はとっても弱いです。強く見えるとしたら31年間の人生の中で私がたくさんの人と出会いいろいろな経験をしてきたからだと思っています。

人と関わるお仕事って一日一日が違うんです。離れてみてそれがよくわかりました。子どもの成長を感じながら。子どもたちとの距離を感じながら。会話を楽しみながら。優しさや思いやりを感じながら。あっという間に時間が過ぎていきました。

それって大人になったらなかなかできないことです。目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまってちょっと忘れてしまう。子どもたちは私にとっても大切で忘れていたことを思い出させてくれました。

辛いことも素敵なこともたくさんあったけれど、だからこそ今をがんばっていけるんだろうなって思っています。

私はもう先生には戻れません。だから未来があるみなさんがとてもうらやましいです。 子どもたちとの時間をもっともっと楽しんで大切にしていけばよかったなって思っています。

私にある時間がどのくらいあるかわかりません。それこそ神様だけが知っているのだと思います。悲しさも苦しみもちょっと多く知っています。だから前よりおちょっと心が広くなりました。

のんびりのんびり生活しているから気持が穏やかになりました。失ったこともたくさんあるけれど得たこともたくさんある。それを大切にして精一杯生きていきたいと思っています。

皆さんにこれから待っている時間はどんなことがあっても力になると思います。素敵な時間を過ごしてください。応援しています。

(了)

(2008.12.16 そら)

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