自分史(クロロ96)[お爺ちゃんの死]
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お爺ちゃんの死
(27歳)
手術後一ヶ月くらい経過した時に、また不幸な知らせがありました。それはお爺ちゃんが死んでしまったのです。お爺ちゃんとは小学校までは、大型の休みになると遊びに行っていて、とても可愛がられていました。
けっして怒らない優しいお爺ちゃんが大好きでした。その人が老衰とはいえ、死んでしまって、とても悲しかったです。
そして何よりも悲しかったのはお婆ちゃんだと思います。娘に先立たれ(自分の母)、お爺ちゃんにも先に逝かれて、本当に寂しいと思います。だから自分が「脳腫瘍」なんてことは言えません。入院してた時も父親側の親族にしか言っていませんでした。
自分は昔から坊主はあまりやった事がなくずっと中~長髪でした。その自分がいきなり坊主で母親側の親族はビックリしていました。でも手術したなんて言えないので、ちょうど年明けだったので『気分変えようと思って切った』と言いました。
お坊さんがお経を唱えている時に、お爺ちゃんの思い出が頭に蘇り(虫・亀・ザリガニ・魚などを捕まえに、いつも二人とも泥んこになっていた)大泣きしてしまいました。
ここでもお爺ちゃんから愛されていた事を実感しました。
煙草・酒
(27歳)
手術から一ヶ月ちょっと経った時、友達が引越しをするから手伝ってくれと言われて、普段お世話になっている友達なので気軽に手伝いに行きました。友達の家まで自転車で向かったのですが、道に迷ってしまいました。
方向感覚はいい自信があるし、何度か家の近くを通っているのに、どうして思い出せないのだろう?くやしかったです。記憶もまだまだです。普通なら25分で着くところが、迷いながら45分もかかってしまいました。
普段は重いものは持たないので、順調に右半身も回復していると思っていたのですが、引越しの作業が始まって痛感させられました。重いものを持ったら右半身が思うように動きません。
タンスなど運ぶ時に、ここ一番の踏ん張りが利かず、あまり役に立てなかったです。そんな自分にイライラをつのらせていました。友達も自分のことを感じ取っていたみたいです。結局軽い物ばかり運んでいました。引越しを手伝ったお礼に焼肉をおごってもらいました。100%回復には、まだまだだなー。
二ヶ月くらい経った時に、自分の体がようやく目覚めつつあるところまできました。(85%回復)そしてその余裕からか、止めたはずの煙草を吸ってしまいました。ここから一年くらいは煙草を止めたり吸ったりが続きました。お酒も飲みだしたのですが、もともとお酒は好きではなかったのですぐ止めれました。
そして退院後の初サーフィンに行き、このあと調子に乗った生活に戻ってしまいました。(90%回復)