自分史(クロロ96)[パチスロと東京]
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パチスロ
(17~19歳)
学校を辞めてからも毎日パチンコ屋に通いました。10時開店に毎朝並んでました。
もちろん基本は朝のパチスロですが、それ以外にも新装開店に行ったり羽モノもやったりしてました。
このあと東京に行くことになってからもパチスロで稼ぐことに。
東京
(19歳~)
昔から東京の憧れがあったのと、その時に先輩がちょうど東京で飲食店をやることになったので便乗して行くことになりました。
行く前から分かっていたけどおばあちゃんの家が仕事場からすぐのところにある最高の条件でした。店が休みの時は朝からパチンコ屋に行ってました。しかし店の売り上げが悪く3ヶ月で潰れてしまいました。潰れてから先輩は京都に戻り、自分はパチスロで稼いでいました。
以前からおばあちゃんの家に泊めてもらっていたのですが、帰りが遅かったり夜中まで電話をしていて眠れないという理由から口論になり家を追い出されました。おじいちゃんは昔から優しくて怒られた記憶もないです。おじいちゃんはそっと寝袋を渡してくれました。
以前に下北沢に来た時から良い町だと思い、東京に住むなら下北にしようと決めていました。しかし頭金を稼がなくてはなりません。京都でも先輩に保証人になってもらって家を借りた経験があるのでだいたいの仕組みは分かってました。
しかしお金を貯めるとなると話は別です。ある程度お金が出来るまでは無駄づかいは出来ません。 朝から閉店までパチンコ屋に居てそこから寝床探しです。パチンコ屋には大きなリュックを足元に置いてやってました。(寝袋・着替え入り)
ベンチで寝ていて警備員に起こされて「今日だけ寝かして」と交渉して仲良くなったり、時には映画館のオールナイトで寝たりと、こんな生活を3週間ほど頑張りました。
少しお金に余裕が出てきてそれからは毎日安いカプセルホテルに泊まってました。(シャワー、トイレ共同・2段ベット)さらに余裕が出てきたので、朝ご飯をコンビニのパンからファーストフードのモーニングセットに変わりました。
やっと目標金額(頭金+パチスロの軍資金)が貯まりました。しかし保証人になってくれる人が居ないので、母に訳を言ってわざわざ来てもらいました。やっと自分の借家です。
家を借りるのにかなりのお金が無くなったので朝はパチンコ、夜はコンビニ深夜の二刀流で働きました。この時の睡眠時間は人生で一番短い時期でした。徐々にお金の余裕が出来始めてコンビニを4ヶ月ほどで辞めてパチスロ一本だけにしました。
いつも途中で逃げ出していた自分がやっと見つけたモノ「パチスロ」でした。
パチスロに限界
(24~25歳)
母親に仕送りを出来るくらいまで稼げるようになりました。しかし2001年の目標をあっさり達成してしまい、パチスロはほどほどにして、新しいことを探してみたのだがこれがなかなか見つからない・・・
株に興味をもち、図書館で株の本を借りに行く日が続きました。そういえば母親が昔、証券会社に勤めていたので、自分からはあまりかけない電話をすると、株の本を送ってくれることに。だけどサッパリわからず投げ出してしまう根性無しの部分が出てしまいました。