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jive宇都宮の講演

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みなさん、はじめまして。インターネット上では、「jive宇都宮」、本名は■■と申します。

クロロさんとは、ブログを通じて出会いました。今では、毎日のように連絡を取り合っています。

ふたりの脳には、グリオーマという腫瘍があります。左脳と、右脳、腫瘍の位置は違いますが、症状はとても似ています。

たんじゅんに、事実だけを述べるならば、クロロさんは、今日で、発症から1,562日、わたしは、828日が経過しています。

ちなみに、今日、2番目に話をしたピーナッツしんじくんは、中学生の頃からの親友です。僕が落ち込んでいると、いつも察したかのように電話をかけてきて、元気づけてくれます。

講演会の開催にあたり、お互い「何を話そうか」とクロロさんと話しあいました。その中で、今のクロロさんと、僕とを語る際に、切り離すことのできない「てんかん発作」という言葉が、挙がりました。

発作についても、二人の症状はとてもよく似ています。クロロさんから発作について話してほしいという要望があったので、まずは、僕自身のてんかん発作について話すことから始めたいと思います。

「てんかん発作」には、もちろん、さまざまな種類があります。僕はこれまで「さまざまな種類」のうちのいくつかを体験してきました。

僕とクロロさんの発作について、共通して特徴的なのは、「発作時の記憶を鮮明に保持しているケースが多い」ということです。

僕が体験した、ある日の発作について話します。

まず、予兆があります。視界と感覚全体をとらえられてしまったような気持です。「しまった!」と思います。

予兆とともに顔のけいれんが始まります。予兆があるときは 、安全な場所を探すまでに時間があるので、けいれんを起こしながらクッションを枕にして、横になります。

頭を脱水機にかけられたような感じになります。息がとても苦しい。

その日は、一気に、左手を持っていかれました。外側に向かって引っ張られたかと思うと、しびれて感覚が無くなりました。

足の感覚が残っているかどうかを感じる余裕はありません。ただ、右半身の感覚と、音で、左半身がけいれんして、床を打っている音が聞こえます。

まぶたが開いたり、閉じたりします。目が裏返るときは、視界が暗くなります。

頭を床に打ちつけ始めても、「見る」という行為をやめることができないので、クッションの上で跳ねる自分の頭を、中から見ている感じです。

発作は、いつ止まるか、どこまで広がるか、分かりません。主治医の先生は、「2時間でも3時間でも続くことある」とおっしゃっていました。

その言葉の半年後くらいに、実際、2時間半、断続的にけいれんが続きました。

正直、もう意識を失いたい。でも、自分から、意識のスイッチを切ることはできません。途中で恐怖からパニックを起こすと、発作が激しくなってしまいます。

「再発」の2文字が頭をよぎります。「がんばろう」と自分を励まします。でも、そういう余計な思考は、発作の火に油を注ぐだけです。

疲れや、感情の昂揚が発作を誘発します。だから、僕も、クロロさんも、水のいっぱい入った水槽を、両手で抱えたまま、水面を乱さないように、こぼしてしまわないように、静かに、静かに耐えています。

てんかん発作について、自分の視点から話しました。とにかく苦しいという話です。視点を変えます。

僕は、妻に頼んで、自分の発作をビデオに撮ってもらったことがあります。そのときの発作は、顔のみがけいれんを起こし、手はしびれる程度のものでした。

時間にして1分半程度、僕の中では「よくある」タイプの発作でした。でも、頭の中を脱水機に入れられて息が苦しくなるのは変わりません。

撮影してもらったビデオを自分で見てみました。正直、びっくりしました。客観的に見てみると、「顔がぴくぴくしていて、息が苦しそうな人」でした。

僕は、もっと、頭がガクガクしているものだと思っていましたが、自分自身で体験するのと、てんかん発作を外側から見るのとでは大違いでした。

もちろん、だからと言って、見ている家族や、妻の苦しみが減るわけではありません。僕が苦しんでいても、見ていることしかできないのです。そのつらさを感じるとき、僕は、とても申し訳ない気持ちになります。

人には、どんなに分かり合おうとしても、決して分かりあうことのできない痛みや悲しみがある、僕は、そう感じるようになりました。

2006年の6月に、僕は大きな発作を起こして1カ月半、入院しました。途中、僕は、自分が何なのか、よく分からなくなってしまいました。

車椅子の上で、検査の順番を待っていたら、通りがかった看護師さんに、『どちらの病棟のかたですか?お名前は?』と訊かれました。僕は答えられませんでした。

「自分」という軸を失ってしまい、もう、怖くて悲しくて、ボロボロ泣きました。

検査技師さんが、僕のことを覚えていて、『あなたは■■さんですよね。前に検査のとき、お話しましたよね。そのとき、■■さんはきちんとお話されていましたよ』と繰り返し話してくださったのが、とても嬉しかったです。

僕は、何とか、「自分」を取り戻しました。

退院してからも、何度も大きな発作が起き ました。僕は、実家の1階の和室で、ずっと寝ていました。「そっとしておく」ことが一番の発作の予防策である以上、家族としても「そっとしておく」しかありません。

そうして僕は、だんだん、名実ともに病人になっていきました。

心配してくれる家族に、感謝もするけれど、申し訳なくて、ただ、発作を起こすまいと、安静にしていました。

2007年の1月から、インターネット上に、日記を書き始めました。「ブログ」と呼ばれているものです。自分の日記に『ハートは心臓にある』とタイトルをつけました。今でも書き続けています。本名で書くわけにはいかないので、ペンネームを「jive宇都宮」としました。

はじめは数人だったのに、だんだん、読んでくださるかたが増えていきました。コメントを寄せてくださるかたも出てきました。インターネット上で、僕は、「jiveさん」と呼ばれています。実家では、下の名前「▲▲」と呼ばれています。

ブログの更新を続けていくうちに、僕はだんだん、自分が「jiveさん」であるような気がしてきました。

名前、というのは、自分を世界から切り離して、自分自身にさせてくれるものなのだな、と実感しました。

誰からも名前を呼ばれなくなってしまったら、それはとても悲しいし、僕は僕でなくなってしまうのだと思います。

僕は最近、昼間の短い時間だけ、アルバイトをしています。先日、仕事をしていたら、別の部屋から大きな声で、「■■さーーん!!」と呼ばれました。嬉しくて涙が出ました。

学校で働いていた頃のことを思い出しました。養護学校の、広い廊下の向こう側から、僕はよく、先輩や同僚に大声で名前を呼ばれていました。

病気であることは、何ら変わりないのに、むしろ体調は落ちていくのに、僕は、再び、「■■さん」として人と人との間につながることができました。

感謝しています。病気にはなってしまったけれど、僕にとっての最大の財産は、「人」です。僕には、「素敵な人と出会う」、そういう運があると思います。

ブログから始まって、いろいろな人に出会って、クロロさんともつながって、ホームページを作って、いつの間にやら、「講演会」です。

すごいなー、と自分で思います。何がすごいって、この講演会の実現にあたっては、ほんとうにたくさんの人の力を借りています。

僕らが「やってみたいね」なんて話していたことに、こんなに多くの人がかかわってくださったことに、心から、感謝いたします。

今でも、毎日のように発作が起こります。苦しいです。ときどき、大きな発作もあります。

でも、いいのです。いろいろやって、挑戦して、その上での発作なら、僕は受け入れようと思います。

怖くない、と言えば、嘘になります。今、こうして、頭やからだのまひから回復して、話をしていますが、いずれ、僕は、発作が止まらなくなり、外部へ意思を伝えるのが難しくなるだろう、と告知されています。

毎回、発作が起こるたびに、もう、ここで最後かもしれない、と思います。次の瞬間、大きな発作が来て、死へのレースが始まるかもしれません。怖い。

でも、僕は、相も変わらず、みんなに迷惑をかけながら、支えてもらいながら、生きています。

走れるうちは、どこまでだって、走ってやろうと思っています。

今、僕は、人と人とをつなぐ仕事をしています。この講演会の企画もそのひとつです。企画を手伝ってくれた「☆☆☆☆☆☆」のメンバーも、そのつながりです。

人と人との間には、決して埋めることのできない部分があるけれど、でも、手をつなぐことはできる。手を差し伸べることはできる。

未知なる相手に対して想像力を持つこと、理解しようと努力すること、相手の名前をしっかり呼ぶこと、そうやって、僕は、人と人をつないでいきたいと考えています。

そして闘い続ける背中を見せることが、家族や、妻や、お世話になったかたがたへの恩返しになる、と信じています。

人の背中を押すことは、自分自身の背中を押すことだと知りました。

いつも希望を胸に、自分自身のために前進していきたいと思います。

病気になって学んだ一番のこと、それは、伝えたいことは、そのときに伝えたほうがいい、ということです。

「またいつか」、いえ、その「いつか」は来るかどうか分かりません。

僕を支えてくださっている皆様、ほんとうにありがとうございます。今日、お集まりいただいた皆様、話を聴いてくださって、嬉しかったです。

「思ったこと、感じたことを、今、そのときに伝えること」の大切さを、僕も、ここで示したいと思います。

今、その後ろで写真撮影をしているのが、僕の妻です。

『ちゃこさん』です。彼女は、僕の病気や、予後を知った上で、僕と結婚してくれました。

ちゃこさん、いつもありがとう。I love you!! 愛してるよ。

以上で、jive宇都宮の講演を終わります。

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