いらいらについて(jive宇都宮)
性格的なものもあるのかもしれないけれど、僕は、いわゆる“神経質”で、とてもイライラしやすいです。
いつか、詳しく書こうと思っているのですが、10代後半から僕のイライラはどんどん加速していきました。神経内科に通い、うつ病の薬を飲んでいた時期もあります。
荷物の整理をしたとき、過去のメモが出てきました。
当時から、手のしびれを感じていたようです。「苦しい、苦しい、なんでこんなに具合いが悪いんだ。煙草の吸いすぎなんだろうか、酒の飲み過ぎなんだろうか、運動不足なんだろうか」そんなことが何度も書き殴ってありました。
煙草をやめ、スポーツジムに通い、時間があるときは、ジョギングをして、とにかく、自分自身を鍛えようとしました。
でも、だんだん体重が増え、心もからだも重くなり、僕のイライラは募るばかりでした。
職場では、「良い人」のフリをしていたけれど、私生活は滅茶苦茶でした。
たくさん人を傷つけました。
あとになって、『あのとき、オマエ変だったよな。つまんないことにカリカリしてマジで怒ってるときあったよ』と親しい友人にも言われました。
今となれば、それが脳の病気の影響であったことが分かるのですが、当時、傷つけた人たちへの弁明の機会は無いし、それをしたことで過去が取り戻せるわけではありません。
何通か、手紙を書きました。
でも、当時の過ちが、病気のせいであったとは書きませんでした。
グリオーマは、僕自身の細胞です。だから、当時の行いも、僕自身が行ったことです。その責任から逃れることはできないと考えています。
病気が分かって、僕は、ある意味では、少し、ホッとしました。
自分の中の苛立ちの原因が分かったからです。
分かったからといって、イライラが減るわけではなく、体調不良も続き、さらには、てんかん発作という新たな問題も生じたのですが、理由が分かっているのだから、もう、仕方がないと思っています。
「ストレス解消」という概念は、今の僕にはありません。感情を昂ぶらせる行動は、即、発作という罰則を伴います。
だから、全面的にストレスに身を任せ、いつも、『発作一歩手前』の自分を受け入れるしかありません。
僕は、苛立っています。でも、その苛立ちが、次の発作を呼ぶのです。もう、どっちが先なのか、分からなくなってきました。
「自分だけが苦しい」とは、絶対思いたくないです。
現実に、僕なんかより、ずっとずっと大変な状況の人を見てきたし、今もそういう方々と接する機会が多くあります。
だから、僕は、目を閉じて、滝に打たれる気持ちで、日々を過ごしています。
「苦労すれば何かが得られる」というのは、100パーセントの方程式ではないと思います。
ほんとうに不毛な闘いも、存在すると思います。
僕はただ、自分の脳内の“電流”の動きを監視しながら、オーバーヒートしないように、努力しています。
ただ、それだけ、です。
そこから何かが得られるとも思えないし、仮に何かが得られたとしても、その立場から、何かを書いたり、誰かに話したりする、ということは慎みたいと思っています。
悩みや苦しみは、人それぞれであって、比較の問題ではないと思います。
僕は元気です。
「ほんとは、かなり苛立っているんだけど」の言葉や想いを飲みこんで、僕は、きわめて“普通に”元気に暮らしています。
それでいいや、と思います。これが僕なのです。
頭の中の霧が晴れることは、もう無いと、思っています。
だったら、今、やれることを、精一杯やるだけです。
もう、後悔したくないから。
(jive宇都宮 2008.10.6)