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病気になってから気づいたこと(かめ)

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人生で一番大切なものは家族と友人、『普通』の生活。

私は仕事が好きだったし、やりがいもあった。さまざまなストレスをかかえながらも働き続けるというのは当たり前の行為だったし、そうあるべきだと信じ込んでいた。しかし、「働く」ことができなくなったとき、ほっとした自分自身も発見した。

退院後しばらくたって、お見舞いに来てくれた友人に「私って本当は働くこと嫌いだったのかもしれない・・・職場に復帰できないと知ってもショック受けなかったもの」ともらした記憶がある。

行き当たりばったりの生活で生計が立てられ、阪神が優勝したら後先考えずに道頓堀に飛び込むような人たちに憧れていた。・・・もっともそれに気付かせてくれたのも病気ではあるが(この不況下では贅沢と 知る)。

振り返ってみて、世の中の『普通』な生活しかしてこなかった。ふつうがいやで海外に飛び出したりも したが、大学はちゃんと卒業し、教員採用試験を受け、大阪で教諭として働き、そのころの平均的結婚年齢で結婚し、子供は2人。

働く親の背中を見せたくて、幼い子らを保育園に預けながら、証券会社のパート⇒病欠教員の臨時講師(中学)⇒高校の非常勤講師(社会科での需要がなくなると家庭科の男女共修での教員不足を狙って通信制大学で家庭科の教員免許を取り途中から家庭科講師)と順風万帆のはずだった。

だから、最初の大発作は晴天の霹靂だった。「私の計画表」にない『まさか』 につかまってしまったのだ。『まさか』には対処法がない。

最初はリハビリで精いっぱい、それも限界付きと知り、絶望のどん底で支えてくれたのは、家族と病気になってからも去って行かなかった友人たちであった。
だから「一番大切なもの」を迷わず言える。

全てを失ったわけではない。過去の栄光?も遠い昔だ。今、できることを、できるうちにやっておきたい。

(かめ)

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