そら の講演
私は●●です。ブログ上では「そら」と言っています。
今日はちゃんとお話しできるか自信がありませんが私をお話ししていきたいと思っています。
私の病気は脳腫瘍です。幼稚園の先生をしていた28歳のとき病気がわかりました。
最初はコンタクトをなくして眼科に行きました。視力を測定したら右目が見えないことがわかり大学病院を紹介されました。
幼稚園の発表会のちょっと前のことでした。私はそれ以来職場に行くことも担任していた子どもたちに会うこともできなくなってしまいました。
途中で仕事を辞めなくてはいけなかったことはとっても辛くてくやしかったです。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
最初は良性でしょうといわれていたのですが、一度目の手術の病理の結果で悪性と診断されました。孤立性繊維性腫瘍。悪性でもその他に分類されてしまうらしいです。
とっても症例が少ないようで私がお世話になっている大学病院では初めてだそうです。症例が少ないので「これからどうなるの?」と先生に聞いても「わからない」しか返ってきません。なので私は先のことがわかりません。
その後も放射線や、手術をしました。坊主にしたり毛が抜けたりしました。
今だから言えるけれど長かった髪が坊主になってしまったのはちょっと辛い経験でした。その姿をなかなか友達にも見せられませんでした。
手術ではほとんど腫瘍を取り除くことはできましたが脳幹部分は大切な所でギリギリまでしか取れなかったため、残っています。
2年経った今、変わりはないのですが相変わらず右目はほとんど見えていません。暗い濃い網がいつもかかっていて真ん中くらいしか見えていません。
左目も右下がちょっとかけています。白や黄色などの色の判断はつきます。形もぼんやり何とか見えているという状態です。左目ががんばっています。
私は手術をして一年後に無謀にも保育士という仕事に復帰しました。
慣れない土地で病気のこと目のことを隠しての仕事はとっても辛くて。また、もうできる仕事ではないと思い3月に退職し、ちょっとの間のんびりして今はパソコンをお勉強中です。
ちょっと目のことで授業に追いつかず挫折しています。今は自分探しに一生懸命のときなのかもしれません。私にできることを探しているところです。
病気になって失ったものがあります。視力・恋人・仕事・友だち・走ること・ダイビング・運転・未来。結構いろいろ失っています。
できなくなったことはいっぱいあって最初はとっても苦しくて。「私」はなに?って考えました。
最初は良性といわれていたので何にも考えていませんでした。手術すれば治る。それしか考えていなかった。でも現実は甘くなかった。
私がちゃんと受け止めなくてはいけないのは悪性というものでした。悪性といわれ「死」がいきなり近くにやってきました。
それまでのほほんと生きてきた私にとっては大変なことでした。 死にたくない。でも死はいつかやってくるもの。そのくらいわかっていました。だけど病名の告知で一瞬にして近くにやってきました。
本当にこわかった。想像のつかないこわさです。 何度か自分で死を選んでしまいそうになったこともあります。駅のホームで。信号待ちの道路で。逃げたい心もどこかにあるのです。
だけどこのまま終わってしまったらだめって思ったんです。 もう会うこともできないかもしれないけれど子ども達にも先生はがんばっているよって見せたい。それがリタイヤしてしまった私が先生としてできる最後のお仕事なのかなと思い、逃げちゃいけないって思いました。
そして大切な人をこれ以上悲しませてはいけない。精一杯生きようと思ったのです。
それは入院したとき母がベッドで言った「ごめんね」がとっても悲しかったから。それまで聞いたことのない悲しい「ごめんね。」もうそんなこと言って欲しくない。これ以上苦しませたらいけないって思いました。
神様からせっかくもらったこの命はちゃんと使わなきゃいけないって思ったのです。逃げちゃいけないことってあるんだなって思いました。
でもそれを受け入れるまでにちょっと時間が必要でした。戻りたい自分。戻れない自分。とっても辛かった。
時間が経つとちょっとずつ何かが変わってきて「今」を楽しむ自分がいるようになりました。
苦しむ時間と楽しむ時間。同じ時間を過ごすなら楽しいことが多いほうがいい。幸せなことが多いほうがいい。そう思うようになりました。
突っ走ってきたそれまでと今はちょっとちがうけれど、「ま、いいか」があってのんびりしている世界もなんだかちょっと得した気分になることがあります。
病気になって自分を見つめる時間ができて私はちょっと自分に裕福になれたかもしれません。
仕事をやめて実家に戻ってきました。あまり友達もいなくて。病気のこともあって私はちょっと引きこもっていました。今の自分を言えなかった。私を好きになれませんでした。
病気のことを言うとみんなちょっと変わってしまうのがわかる。それは仕方がないと思うのですが私もどう言われたいのかなんてわからない。
自分が傷つくのもイヤで守ろうとしていました。このままひっそりと生活していこうかな…なんて考えたりしました。 友だちがみんな元気で輝いて見えて。
私はどうしていいのかわからなくなってしまいました。自分がちょっと違ったところにいるなんだかそう感じていました。
その頃パソコンを買ってもらったので「脳腫瘍」「ブログ」で検索してみると何件も出てきました。いろいろ見ていてクロロさんとjiveさんのブログを見つけました。
あ、年の近い人がいる。 とってもとっても大きな発見でした。仲間を見つけました。一人じゃない。そう思えたのです。 気がつくと2人のファンになっていて毎日のように見ていました。
でもちょうどその頃脳腫瘍の本とか読んでとってもこわくなってしまって夜も眠れなくなってしまうことがありました。
今、これ以上いろいろなことを知ってしまったら私は壊れてしまうと思ったのであまりパソコンをみないようになりました。
でもやっぱり気になって気になって覗いていました。 素敵な2人だなーお話してみたいな。そう思いました。
でも無理だろうな。私なんて。うまく言えないけれどちょっと恋しているようなそんな気持ちだったのかな。いや、今もそうかもしれません。
病気をしてちょっと元気になって見えてくるものがあります。不安や、自分の変化。周りとの違い。それはなかなか他の人にはわかってもらえませんでした。
それを話せる仲間が欲しい。そう思いました。この2人なら…と思ったのです。
勇気を出してメールを一度出しました。でもそれ以降恥ずかしくて伝えたいことはいっぱいあるのになかなか出せませんでした。
病気をして失ったこともあるけれど得たこともある。この二人のように何かを伝えていけたらな…と思っていました。でもその一歩が踏み出せなかったのです。
クロロさんが亡くなったことを知ったときとっても悲しくて…でも今、やらなきゃ!と思ったのです。
クロロさん、jiveさんのブログを見て仲間がいるって思えたから、何か私にもできることがあるんじゃないのかなって思って。そしてまたメールを出しました。
「ブログの作り方を教えてください」jiveさんがとっても親切に教えてくれました。なんとかブログを始めることができたのです。クロロさんが背中を押してくれたんだなって思っています。
ある日一通のメールが来ました。余命.com の仲間になりませんか?と。とっても嬉しくてメールを見て泣いてしまいました。「はい」即答でした。
そして今日ここに立ってこうしてお話できています。 「写真どうします?」「載せてください!」 ためらいはなかったです。
余命宣告.comの2人の姿はとっても残りました。 この人たちががんばっている!私もがんばると思えたように見ていただく人に「私」を知ってもらいたくて顔を出しました。
隠したってなんにもない。これからで会う人に私を知ってもらえたらと。 一人じゃないよ。仲間はここにいるよ。私はここにいるよ。なんでもいいんです。「何か」を感じてもらえたら。それだけでいいんだと私は思っています。
ブログを始めて、余命宣告.comのメンバーに入って。私はちょっと変わりました。 つながりがとっても広がっていきました。
jiveさんのおかげかな。かけがえのない仲間が増えている。今日ここに来てくださった方もこの「つながり」で広がっていったのだと思っています。
私は何にもないけれど病気って事だけは持っています。自分を知ってもらってちょっとでも何かを感じでもらえたら…そんな風に思っていたのですが、今では私はとてもブログに励まされています。
みんなの一言がとっても嬉しくて。力になるのです。ひとりじゃないって本当に嬉しいなってそう思っています。
病気になって私は一人じゃないって思っていてもやっぱりいつもどこか一人でした。だけど一人じゃない。当たり前だけどたくさんの人に支えられて助けられて今があるんだなって思います。 本当に本当にありがとう。
病気をした自分が嫌いだったけれどそれを伝えていくことで自分が見えてきた。そして大切な仲間が増えていつのまにか自分を好きになっています。ありがとう。
病気がわかる前の私はかなりイライラしていました。ちょっと嫌なやつでした。病気のせいなのか、もうよくわからないです。
自分のことに一生懸命で周りのことが見えているようで見えていなかった。大切なことを見ていなかった。
肩の力が抜けて大切なことが見えた今ちょうどいい感じです。
私の大切なことは生きること。
どうなるかわからない病気と向き合っていかなきゃいけない不安はたくさんあります。いつもいつもビクビクしてます。 だけどどんなことが待っていても私らしく生きたいと思っています。
逃げずに向き合っていきたい。逃げられないことでもあるし。
「何でそんなに強いの?」と看護師さんに聞かれたことがあります。わからない。私、本当はとても弱いです。でも欲張りだからかな。病気になってしまったものを悔やんでも仕方ないし前に進めない。治るものでもない。ならそれを受け止めて歩いていくしかないと思っています。それしか私にはできません。
止まっていても時間はどんどん過ぎていくのならこわいけれど何かをして進んでいったほうがいい。
進んでいくことで何が待っているかわからないけれどあの頃なかった幸せが確かにここにあるような気がします。だから私はこれからも歩いて、生きて行こうと思っています。
一人じゃないってとっても幸せなことだなって教えてくれた皆さん。ほんとうにありがとう。