ともだち(jive宇都宮)
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僕は今、31歳だ。発症したのは28歳の誕生日だ。
ともだちについて、正直に本音を書くなら、僕は、同年代のともだちが、羨ましい。中学、高校、大学、それ以降、たくさんの素晴らしい友人に出会ってきた。今、みんな働き盛りで、毎日、遅くまで働いたり、あるいは、子育てに専念したりしている。
働くことも、子どもを育てることも、きっと、たいへんだと思う。それに、それぞれ、いろいろな事情があって、悩んだり、苦しんだり、していると思う。
でも、それでも、僕は、羨ましいという気持ちを、なかなか拭い去ることができない。
働いて、社会に貢献する、それこそが、僕の望んでいた生き方だったからだ。
入院したとき、たくさんのともだちが、お見舞いに来てくれた。今も、時折、自宅を訪ねてくれるともだちは、たくさんいる。
みんないい人ばかりだから、僕にとても気を遣ってくれる。嬉しいことだけど、やっぱり、どこかで、寂しさを感じてしまう。
きっと、働いているみんなが集まって話をすれば、仕事の愚痴や、将来のこととか、そういうことが話題になっているんだろうな、と思う。
でも、僕に会うとき、みんなは、そういう話をしない。
僕は、外で誰かに会うのが苦手だから、家に来てくれる人が多いけれど、家で話をして、じゃあ、その後、どこかに飲みに行こうか、というわけにもいかない。
僕の家は、そこで行き止まりになってしまっていて、そこから、続かない。同じ時間を生きているのに、自分だけ、置いていかれたような気がして、とても悔しい。
みんなが優しければ優しいほど、その気持ちに感謝しなくてはいけないと分かっているからこそ、僕は、その気持ちをどこにもぶつけることができない。
だから僕は、ブログを書き始めた。ブログ、というクッションを通じて、誰かが、「そういえば、アイツ、どうしてるのかな」って思ってくれたときに、気を遣うことなく、今の自分を知ってもらえるように、だ。
『ブログ見てるよ』『講演会とかやってんだ、すげぇじゃん』って、言ってもらうのが嬉しい。僕も、それなりに、なんとか、やってるよ、ってことを、インターネットを通じて伝えている。
笑ったり、怒ったり、ファミレスで長い間話したり、そういう形でつながりを持つのはだんだん、難しくなってしまっている。
半年とか、1年ぶりとかに会うと、ともだちの時計と、自分の時計との間に、ずいぶん差があることを感じる。
それでも、ときどき、ともだちがメールや電話をくれる。僕は、ほんとうに恵まれていると思う。みんな、ありがとう。
『俺だって、いつ事故で死ぬか分かんねぇし』と、言ってくれる友だちがいる。ほんとうにその通りだ。『いつでも連絡してくれよ』と言ってくれるともだちもいる。
だから、僕は、あまりいろいろ気にしないで、今まで通り、ともだちとつながりを持っていけばいいんだと思う。ようやく最近、そう、思うことができるようになった。
結婚式をしたとき、僕は、友だちを式に招待することができなかった。妻のともだちには、来てもらった。
あの頃はまだ、気持ちの整理がついていなかった。まだ、プライドが捨てきれなくて、今の自分を見せるのが、つらかった。
僕は、自分が脳腫瘍であることを、みんなに公言している。ブログのことも、このホームページのことも、伝えている。
今の僕は、もう、今の僕以上でも以下でもないんだ。だから、それでいいんだ。
東京で講演会をやらせてもらったときに、僕は、ともだちに声をかけた。正直、勇気の要ることだった。みんな忙しいだろうに、『もちろん行くよ』って返事をくれた。
嬉しかった。そして、自分を恥じた。僕は、自分自身の小さなプライドにこだわって、大切なつながりを、自ら断ち切ろうとしていたんだ、と反省した。
病を得て、仕事を辞めて、いろいろな活動をしていくうちに、今度は、いわゆる「障害者手帳」を持った友人が増えていった。病気と闘う仲間もできた。
接していくうちに、僕は、自分自身のたいへんさなんて、ほんとうに、たいしたことないんだ、と思うようになった。たくさんのことを、今、学んでいる。
僕は、自分だけでは、自分になることができない。
周りの人が、僕に、つながってくれるからこそ、僕は僕であることができる。これからも、そのつながりを大切にしていきたい。何のお礼もできないけれど、自分自身が頑張っている背中を見せることが、家族だけではなくて、ともだちに対しても、恩返しになると思っている。
そして、もし、もし、今の僕で役に立てることがあるのなら、いつでも、全力で、友だちの力になりたい、と思っている。
(jive宇都宮 2009.1.17)