死について(jive宇都宮)
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僕の死生観は常に変化している。
かつて僕は、生きることと、死ぬこととは、同義であると考えていた。
1日生きることは、つまり、1日分だけ、死に近づくことだと思っていた。
「生と死は、いわばコインの裏表なのだから、良く生きることが、すなわち良く死ぬことにつながるのだ」と考えていた。
しかし、実際、自ら望んで医師へ告知を求め、「あなたの場合は、XX年程度で、△△になる可能性が高いです」と言われてしまうと、心境に変化が生じ始めた。
「死」は、動かすことのできない事実として、厳然とそこにある、と感じるようになった。ある境界線を越えれば、その時点から、僕は、明確に、死ぬことになる。
それを思うと、とても怖い。
とても、寂しい。
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死後の世界があるかどうかについて、僕は知らない。有るにせよ、無いにせよ、断言するだけの根拠を持たない。
そもそも、世界の一点に過ぎない自分自身が、死や生や、その後の世界や、運命、神、と言ったものに対して、断定できるはずが無い。
だから、「信じる」という行為があるのだと思う。「祈る」という行為が成立するのだと思う。(jive宇都宮)