第2回講演会!~生きる~

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そら の講演

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こんにちは。わたしはそらといいます。31歳脳腫瘍と現在付き合っています。

今日はここ数日体調がよくないのでちゃんと伝えたいことがまとめきれていないのですができる限りの私をお伝えしていけたらと思います。29歳の2月に脳腫瘍と診断されてから2年ちょっと。手術もして放射線もして。今こうして生きています。

私は眼科での検査で視力が測れず大学病院の紹介状をもらいました。その時は「失明するかもしれないから早く行ってください。」と言われ目の前が真っ暗になりました。 見えなくなるってどんなことか想像もつかない世界です。だってそれまでの私は見えていると思っていたのだから。

でも検査をしてみると確かに見えない。実際は見えていないのですが気がつかなかったのです。気がつかなかったときは幸せだったなって今思います。目って二つあるから一生懸命にどちらかで補おうとしていたんですよね。だから見えなくなっているといわれた時に初めて自分の身に起こっている変化をちゃんと受け止めることができました。

「目が見えなくなるかもしれない」とのお医者さんからの一言で何かが崩れていくのを感じました。 思い当たることは何かしらあったのです。それを打ち消していた自分がいたのです。きっと認めたくなかったのだと思います。

鏡を見ると鼻が曲がっているようにみえたり、暗い所が苦手になっていたり、右側が見えなかったのでよく転ぶようになったりぶつかったりするようになったり。ダイビングをすれば自分がいきたいと思っている方向とは違うところへ行ってしまう。それって「普通」じゃない。

でもそれを認めたくなくて大丈夫と言い聞かせている自分がいました。 何か月前からか頭痛もひどく薬も効かなくなっていた。市販の頭痛薬が1週間もたなかったような気がします。飲んでも効かない頭痛。あれはとっても辛かった。

だけど健康診断でも異常なしだった私はまさか自分が病気だと思ったこともなかったし、どこかで大丈夫だろうって思っていました。こんなに元気なんだからって。 だけど眼科で診断された時に一瞬で何かが崩れました。「ああ、なにかあるんだ」って。

でも心の中で信じていたのは「きっと治る!大丈夫」って信じていました。 不安なまま夜を過ごして次の日大学病院に行きました。大学病院ではいろいろ検査をしました。眼底が炎症を起こしているということで初めてCTも撮りました。 結果はあってはいけないものがうつっていたのです。

「たぶん大丈夫だと思いますがこれが圧迫して炎症を起こし視力が低下しているのだと思います」なんだか白く映っているものを見て先生は言っていました。 脳外に行くと「脳腫瘍です」とはっきり言われました。

私は6×5㎝の腫瘍がありました。そんなに大きくないかもって思ったのですが頭って意外と小さいんですよね。頭の中にそれだけのものがある写真を見ると何にも言えなくなります。頭の真ん中にどーんと腫瘍が占領していました。 「ああ。死ぬんだー」って思いました。

脳腫瘍ってあんまりなった人を聞いたことがないけれど本とかでたまにでてくるよなー。かなり難しい病気なんだよなー。死んじゃうんだ、私。単純にそう思いました。

皆さんは脳腫瘍って聞いてどう思いますか?私はあんまりピンとこなかったのです。「死」という言葉以外浮かびませんでした。 本当に怖かった。たぶん29年間で一番怖かったことだと思います。

あまりの恐さから病名を言われた時、私は貧血を起こしてしまいました。 ドラマみたい。こんなことってあるんだーってちょっと客観的にみている自分がいたり。なんだか一瞬でいろんなことがありました。 大学病院。教授。病名の告知。CTやMRIの画像。ドラマのワンシーンです。

でも私は前の日に目が見えなくなるかもしれないって言われていました。それも怖くて怖くて。その日はどうしようってずっと考えていました。今見えているのに。どうしよう?と思いました。その日は目をつぶってシャンプーしてみたり家の中を歩いてみたりしました。いろんなことを考えていました。

何があったんだろう?私の中で何が起こっているんだろう?悪いことがいっぱい浮かびました。でも。何があっても私はがんばっていくしかない。あきらめたくはないって。そう思いました。

脳腫瘍って病名が分かるまでに私には考える時間があったからよかったのかなって思っています。その時間があったからこそ泣きながらでも自分をちゃんと受け止めていけたのかもしれません。

私は不思議なのですが小さい頃から「医療」に興味がありました。本も結構読んでいたし医療ソーシャルワーカーになりたいと思ったこともあります。自分にできることは何かしたい。そう思ってきました。

本とかっていいことばかり書いてあるかもしれない。きれいごとなのかもしれない。それはよくわからないけれど「生きる」ことに対して私なりに考えていたような気がします。 もしかしたら準備期間だったのかもしれません。

私は臆病だし弱いからいろんなことを学んでちょっとずつ身につけて行って強くなって。そして29歳のあの日に備えていたのかもしれない。 ちゃんと受け止めて今がある。それがちょっと不思議でもあったりします。

元気なころは病気の人ってどんな人なのかなって思っていました。暗いのかなとかどんなふうに接していいのかなとか。そう思っていました。意外にみんな普通です。

病気っていうこと以外。人はみんな何かを抱えていると思います。私たちは病気っていうものを抱えているだけです。他と何にも変わらないんだって自分がなって思いました。

病気がわかるちょっと前に私の叔父さんが亡くなりました。叔父は10年以上も原因不明の病気と闘っていました。大手術もしてよくわからない症状とも闘って。どんな気持ちでいたんだろうって思います。

でもいつもいつも笑ってとっても元気な人でした。きっと辛いこともあったとも見ます。いまならそれがわかります。 その時を楽しく生きていました。笑顔が本当に素敵でした。いつどうなるかわからないからこそ本当に一生懸命だったのだと思うのです。

私もわけのわからない病気です。脳腫瘍でも悪性でその他に入っています。孤立性線維性腫瘍。お世話になっている大学病院でも初めての症例です。よくわからない病気。どうなるのかも症例が少なすぎてわからないのです。先生たちもこれでいのかわからないけれどやってみましょうっていろいろ考えてくれての治療でした。

放射線も効果があるかわからないけれどとりあえずやってみよう。そんな感じでした。予想以上に効果が見られたからよかったけれど症例がないからこれからが不安です。 でもそれに立ち向かっていかないといけないのが私です。

手術もして放射線もして今のところ腫瘍はおとなしくしています。でもいつどうなるかわからない。その恐怖とは付き合っています。これからもずっと。 それは怖いことだけれどでも私は準備期間なのかなって思っています。

余命ではなく与えられた命の与命。

きっと最後の時間に向けてがんばれるように私には時間があるのだと思っています。素敵な時間だと思っています。

今お仕事をしています。前は幼稚園の先生でしたがそれはもう無理なので自分にできることを探しました。

パソコンのスキルもないしそんなに自慢できることもない。病気になるまで私は先生っていうことしか持っていなくて他にできることなんて何もありませんでした。他に何かできるなんて考えたこともないからかもしれません。

家にいるとなんだかいろんなことがどうでもよくなってきます。服装にお化粧に髪型。なんだかいろんなことを楽しめなくなってしまいました。心がちょっとさみしくなってしまいます。

病気だけれど今の私にだってできることはあるだって思いパソコン教室にも通いました。でも右目が不自由な私にはかなりきつく、また脳の手術の後遺症からか急いだり不安になることが私にはとっても辛いのです。

周りについていくのはとっても大変なことでした。だってみんなは普通の人ばかり。何日かすると勉強することがつらくて笑えなくなっている自分に気がつきました。そこまで頑張らなくてもいいのかなと思い自分に合ったお仕事を見つけはじめました。

前のように動くことはできない。思っている様に行動できない。忘れちゃうことも多い。名前だってすぐに覚えられない。どんな簡単なことだって簡単じゃなかったりします。働くことって結構大変です。

「働かなくたっていいじゃない」って母は言ってくれたけれど生きるってことにお金がかかることを知っています。 保険を払ったり、もらうことがないんだろうなーって思いながら年金を払ったり。医療費だって決して安くない。私は病院に新幹線で通っているのでお金がかかる。携帯代もいろいろとお金は必要なのです。

親にお世話になっていることが私にはとってもストレスになっていました。動けるんだから何かしなくちゃ。働かなきゃ。お金稼がなきゃ。そう思っていました。親に迷惑をかけたらいけないってずっと思っています。十分迷惑はかけているからこそできるうちは何とかしたいっていう気持ちがあります。

お仕事を見つけているうちにぴったりのお仕事に出会いました。事務補助。お掃除したりコピーしたりお使いに行ったり。ちょっとしたことです。パソコンもないから私向きのお仕事。

でも病気のことは言えなかったです。 いつも思います。「脳腫瘍」っていう病気を聞いて他の人はどう思うのかなって。病気になったときにちょっと嫌な思いをしたからかもしれない。今の私が病気だっていうことがよっぽどではないとわからないからかもしれない。

隠せてしまうので隠してしまっています。病気ってわかっても周りの人は変わらないんだろうか?普通に接してくれるのかなあ。かわいそうって思って接するのかなあ。私は普通に接してもらいたい。だって病気だけれど私は私だから。

でも弱虫なので病気のことは言えなかったりするんですよね。 病気のことは隠してしまったけれどお仕事が見つかりました。いつどうなるかわからない私としてはできることがあるうちはそれがとっても幸せなことだと思います。

働いてみると不思議な感じです。たくさん人がいます。みんないつも忙しそう。なんでそんなに忙しそうなんだろうって思うけれど私も昔はそうでした。やらなきゃ!って思っていたのかもしれません。

人のためにと思っていたけれど結局は自分のために頑張っていたような気がします。がむしゃらになって働いていました。 一生懸命すぎて私は走りすぎちゃっていました。人の心とかもっとゆっくり大切にしなくてはいけないことを大切にできなかった。

それはもうがむしゃらに走れないからわかったことかもしれません。でもあのころは大切なものを見落としていました。私はこれでいいって思っていたけれどそうじゃなかったんだなって今では思います。

狭い世界でしかものを見ることができなかったんだなって思っています。 肩の力が入りすぎてあれもこれもととっても欲張っていた頃がありました。人の意見は聞いているようで聞いていなかったような時もあったり。とっても嫌な奴です。

病気がそうさせていたのか。それとも走り過ぎていたのか。今となってはわかりません。あのころの私は健康で目も見えていてよかったと思うけれど心は貧乏だったような気がします。

今、仕事で同じことをしても今の方がとっても幸せです。

お茶を出して「ありがとう」って言われるととっても嬉しい。その一言が私を幸せにしてくれます。できることがあるんだ。わたしだってまだやれることがあるんだ。そう思えます。

元気だったころ自分が言っていた「ありがとう」ってどこか形だけのものでした。何かしてもらったらありがとうって言わなきゃ。そんな考えのところがあったような気がします。

心が込められていないわけではないけれどちょっと足りなかった。 でも今は違う。本当にありがとうっていう言葉を言えているし受け止めることができています。私はそれがとてもすごいことだと思っています。

体は病気かもしれない。でも心は豊かになっているような気がしています。 自分のやりたいことだけやっていた人生だったけれどそれができなくなった時、そこから見えてくるものが大切なのかもしれません。

できることの幸せ。できることを見つけていくことがとっても楽しいです。 今までの私にしてみたら大したことじゃないかもしれない。

でも心が満たされているのがわかります。働くこと。できること。自分の存在を見つけられることって意味があるのだと思っています。 仕事をはじめてとっても楽しくて幸せだなって思うことがいっぱいです。

でもその分何かあるんじゃないかって不安になります。再発するんじゃないか。目が見えなくなるんじゃないか。倒れるんじゃないか。幸せでいることにちょっと臆病になっています。

私の右目はいまだに見えていません。一応見えてはいるのですが0.003矯正してもこれしか見えません。しかも範囲が狭いです。手術してから2年。きっとこれからもこれ以上良くなることはないと思います。

視力に何かあったときは病気が何かある時だとこの前言われました。 どうなるんだろう?っていう恐怖はずーっと続いています。

二重に見えることも、夜見えにくくなることも、よく転ぶこともちょっとづつ慣れてきたけれど、私は見えなくなることに対しての準備はまだできていません。怖い。どうなっちゃうんだろう。最悪の事態がいつも頭を占めています。

点字の勉強をした方がいいのかな。目が見えなくなっても生活できるようにした方がいいのかな。そんなことを考えていると呼吸を忘れてしまうことがあります。

とっても苦しくなる。 だからあまり考えないようにしました。いつか人は死ぬ。それは逃げられないこと。私はそれを知っていてきっと周りの人よりもちょっと早いかもしれないだけ。

だけどそのことばかり考えていたら怖くて怖くて何もできなくなってしまう。 今を楽しもう。目が見えない自分。脳腫瘍である自分。楽しいことなんかないよう な感じがするけれど、でもその中にだって楽しいことはある。やれることはまだある。これからも。きっとずっと。私はそう思っています。

あきらめたくない。まだまだ終わりにしたくないって思っています。 私は「脳腫瘍」と言われたときたぶん良性と診断されていました。1回目の手術での病理の結果が悪性。その時、今があると思っていませんでした。

人生を決して無駄に生きてきたわけではないと思っています。器用ではないけれど私なりに生きてきたと思っています。でも告知された時から本当に生きているような気がします。生かされているのかもしれません。感謝しています。

一日一日がとっても大切だしすべてのことが大切。肩の力もいい感じに抜けたからそんなに嫌なこともなくなった。

でも。ちょっと前に戻りたいって思うことがあります。一日でもいいです。無茶をしていた私にちょっとでも戻りたい。 一晩中お酒を飲んでいたり、ライブに行ったり、思い切り走ったり。病気になってから無茶ができなくなったのです。

何かをすると危険信号が出てきます。それがわかっちゃうのもちょっと辛いところなのですが私はありがとうって思っています。 危険信号があるから自分を抑えることができています。

だけどたまにもどりたくなります。大好きだった海の中にもう一度行ってみたい。魚たちと泳いでみたい。子どもたちともう一度げんきに遊びたい。病気だけれどできることはある。でもできないことはたくさんあるのです。

たまにそれが私を悲しくさせます。 友達との何気ない会話の中で思い出すのです。「日曜は何してるの?」「趣味は?」うーん。って言葉に詰まっちゃいます。やりたいことがあってもできない自分がいるのです。

だから自分のやりたいことができる人たちがいいなーって思います。やりたいことができるって最高の贅沢だなって思います。思った時にやらなくて後悔していることって私にもちょっとあります。もうそれを作らないようにしています。後悔はしたくない。とっても悲しいことだと思っているから。 普通にちょっとでも近づきたくてこの前無茶をしました。

私は痙攣の薬を飲んでいます。痙攣にはなったことがないけれど腫瘍が大きかったことと2回の手術をしたということで様子を見るために予防策として飲んでいます。 一回でもなると薬は飲まなきゃいけなくなるからねと言われています。でも痙攣 7 8 もなく経過が良かったら2年でやめようって言われていました。私はそれを信じて2年間頑張ってきました。

薬を飲んでいる間にもし妊娠してしまったら子どもに影響があるから妊娠はだめだからねと言われています。そのことを十分わかっています。2年っていうのは私にとって長い時間でした。2年があるなんて思わなかったし今があると思わなかった。ようやくその時が来たけれど脳波の検査をしたらちょっと反応が出てしまったのです。

もう前のような自分ではないことは十分わかっていたはずなのにちょっとでも普通になりたかった。安心とか大丈夫とかちょっとだけ「普通」になりたかったもかもしれません。薬をやめることができなくて私は大泣き。病院で教授に迷惑をかけてしまいました。 結婚したい。子どもがほしい。家庭を作りたい。私がしてみたいことです。

夢なのかもしれない。もちろんその前に恋愛が必要となってくるのはわかっています。病気でどうなるかわからない私を受け止めてくれる人がいるかどうかわからないです。でもあきらめたくないなって思っています。 薬は今も飲んでいます。でもそのおかげで痙攣も起こしていません。

相手ができたとき考えていきましょうっていうけれど私には時間があるのかなとかいろいろと考えてしまいます。

だけど悪いことばかり考えても始まらない。 それはこの2年間で私が学んできたことです。辛いことにはぶつかったときに考えよう。今生きていることがきっと辛いことに当たったときに役に立つと思っています。だから何とかなる。そう思っています。

「生きる」ことは私にとってとっても辛いことだけれど幸せなことでもあります。31年間生きてきて病気をしてからの約2年は特に生きてるって思います。濃い時間を過ごしています。生きるって本当に大変で勉強の時間です。

それに気づかせてくれた病気には感謝しています。 残された時間がどれだけあるかわからないけれどたくさん笑って後悔のない時間を過ごせるようにしたいと思っています。

(2008.11.24 そら)

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